「過去最多の不登校児」と「調教の極意」


貧困で教育格差がとか叫ばれている。

 

その一方で、勉強しようと思えばYoutubeに死ぬほどわかりやすく有益な動画がいくらでも転がっている。

 

私は、ここ一年以上、もっぱら英語学習にコミットしているのだが、英語学習マーケットの規模が大きいこともあろうが、その情報の質の高さと量の豊富さに「これで解決できない問題はないのではないか」とさえ思えてくる。

 

教育格差の輪郭を私なりに明瞭にすると、その問題の本質は情報リソースの不足ではなく、それを活用するインテリジェンスの不足が浮かび上がるのだが、教育格差を狭めるために情報を活用できるインテリジェンス教育とはどのように施せば効果が上がるのか?

 

ところで、そもそもだが、優越的地位にある層にとって、国民にはある程度以上の知性を身につけてもらっては困るのだ。サーカスのライオンの調教とは

 

①選択肢の存在認識させ

②選択行動により、結果の快/不快を制御できることを理解させ

 

ゲームルールを理解させた上で、、、、

 

③ "自由意志はの行使は放棄させる" (ライオンは調教師の自由意志に従う)

 

これが調教の極意である。

 

そして、人間という動物の織りなす動物的社会は基本的にこのような構造で機能しており、結局のところ教育格差、すなわち情報リソースの活用に関するインテリジェンス格差を考察する上で、「調教催眠としての教育」「自由意志を尊重した人間の教育」の2つの視座から捉えた時に

 

前者の事柄に関して、2023年の日本においてそれを国家単位の組織に期待することというのは、それを話題にしようと思いを抱こうとするその時点でさえすでに虚しさが漂っている。

 

もし「過去最小の出生児童数」と「過去最多の不登校児童の数」が同時に叫ばれるこの異常な状況が、その背景において、その国家的調教催眠の先になんの希望も見出せないことを無意識的に子供達が気づいていることを示しているなら、

 

仮に、この日本国を1億個の細胞が組織化された1つの生命体として見ると、不登校児童たちがその生命体のエゴ的で自己的/破壊的な誤った振る舞いにNOを突きつけている健全な精神の否定的現れだとして、そこに希望を見出すこともできるのではないだろうか。